シルバー・カーメディアの弊害
日本の危機!?
実家に帰ると、毎度のように母親が政治について語ってくるようになった。都知事選で惜敗した石丸伸二さんが「再生の道」を結成したことは知っていたが、母のような学生運動で蜂起していた世代(高齢者)が、この地域政党に熱狂しているらしい。あんまりうるさいので言ってやった。アメリカでは民主党(増税&低関税)と共和党(減税&高関税)が、ラディカルだけどわかりやすく「民主主義」を構成しているが、石丸さんは当たり前の民主主義のルールすらわかっていないと思うのだけど一体何を期待してんだ!?って・・・。
与野党ともに増税派ばかりの日本に、「日本・共和党」でも作ったらどうだろうか。かつては軍需産業と共謀して戦争を起こすと批判されていたが、トランプになってからは一応の解決をしたようで、アメリカで根強い人気を誇る。相互関税は、日本の自動車メーカーに迷惑な話かもしれないが、それでも三菱、スズキ、ダイハツ以外の主要な日本メーカーは、「フェア」なアメリカ市場を目指し続ける。国民の大多数が「老眼」で本もまともに読まなくなった日本では、真面目に読むような本がほとんど発売されなくなった。ビジネスパーソン必読書は今でも「思考は現実化する」「ビジョナリー・カンパニー」で、いうまでもないが著者はアメリカ人だ。
SNSが強すぎる
給料が低すぎる、米が高すぎる、自動車にかかる費用が高すぎるなど、さまざまな理由で書店で本を買う余裕はなくなっている。アマゾン・キンドルのサブスクサービスを使えば、前述のアメリカの民主主義の実態を書いた本はいくつも読める。自動車雑誌もほとんど読めて月額980円は嬉しいのだけど、読書の時間の確保はなかなか難しい。起床時、就寝時、電車での移動時が中心だけども、ネット記事を見る時間と性質が似ている。ネットはすぐスイッチできるけど、本はすぐに読み終わらないので簡単にはいかない。読書人口が減るのも仕方がない。
カーメディアに関しては、低コストでAIが書いたレベルの読む価値すらない記事が氾濫していている(お前のブログも似たようなものだという批判は甘んじて受ける)。アマゾンで検索すればざっと40冊くらい出てくる福野礼一郎さんのレビュー集を電子書籍化してくれれば、良いのだけど、熱心なファンは全て書籍で購入しているだろうし、主な読者の年齢は高めで、電子書籍との親和性が低いと判断しているのだろう。それとも、最大手のトヨタの設計思想を頭ごなしに否定する論説が、広く世間に流布するのを防ぐ闇の圧力でもあるのだろうか!?
コンテンツを作るのは楽しいが・・・
出版する側にも、カーメディアは時間的に余裕がある高齢者しか読まない・・・という判断があるのだろう。ライターもほぼほぼ高齢者の世代ばかりである。まあ「若造の意見など読んでられない」という気持ちはわかる。自分より若い高校生・大学生が書いた論説文をわざわざ読みたいとは思わない。10年ちょっと前からブログを書いているけども、当初は年配の人から辛辣なコメントが嫌というほど届いた。自動車ライターの池田直渡さんから名指しで批判されたこともある。当時は趣味のブログを批判する行動の意味がわからなかったが、「若いヤツが生意気なこと書いてんじゃねー」みたいなマウント意識もあったのだと思う。
自分自身の過去の経験から、明らかに自分より若いと思われる自動車系ユーチューバーの動画にコメントしたり、彼らのコンテンツを取り上げて自分のブログでえげつなく批判したりしようとは全く思わない。そもそも他人のSNSのコンテンツや主張に対して、全くといっていいほど興味が持てない。顔も知らない人に「MAZDAなんかゴミだ!!トヨタこそ至高だ!!」と主張されても、自分とはクルマを感じるレベルが全然違う人だとしか思わないし、「MAZDAなんて全然売れてないからゴミ!!」と言われても、この人はまともに統計すら見れない人だと思うだけだ。そもそもMAZDAを全身全霊で擁護する気など全くない・・・。
妄想爆発!?
日本では戦後80年1度も民主主義が機能したことはない。本もまともに読まない戦後生まれの高齢者が、SNSを駆使するポピュリズム的な地域政党に熱狂する。この新手の「シルバー・民主主義」はどこに着地するのか。財務省解体?自民党解体?JA解体?・・・SNSでいろいろ叫ばれているが、問題の原因は「国民性」にあると認識できるのだろうか?貯金だけが取り柄の国民性で、その資金がNISA市場に流れてこむ。非常識なカネ余りなので、トランプの相互関税を喰らっても日経平均はびくともしない(MAZDA株はヤバイけど)。この状況では企業はリスク回避で「中抜き」で営業利益を出すようになる。株式市場に注入された資金が団体政治献金となり、企業向けの補助金や公共工事の利権に変わり、結果的に増税につながる。デモする前に株を買うのを止めた方がいいのでは!?
「民主主義」と「資本主義」の本質を知らないまま80年経て来たツケが一気に出た。世界第5位のGDPを誇るけど、自動車メーカーはどんどん去っていく。経済大国のはずなのに人・物・カネの流動性が低過ぎる。おかげでコロナ禍でも過激なインフレは起きなかった。道徳やマナーのレベルは高い(口うるさい)国民なのかもしれないけど、政治、経済の本質を突くような本は誰も書けない。コンシューマー・レポートのような消費者の理解を助ける機関もないし、アメリカのように訴訟で多額の賠償金が発生するリスクも少ないので、MAZDAも含め大手企業は大体ズルいことをしている。
なぜカーメディアは変質したのか?
ブログを書き始めた10年くらい前には、まだまだ自動車業界に対してさまざまな意見をカーメディアから聞くことができた。当時は「プリウスなんてクルマじゃねー」どころか「86なんてスポーツカーじゃない」と言い放つライターが何人もいた。トヨタ車への露骨な苦言が当たり前に罷り通っていた。そんな過激なレビューが一気に絶滅したのだろう。同じようなことは、トランプに対する日本での報道にも見られる。アメリカの民主党政権が日本の主要メディアに「対策費」を払っていたことで、日本ではトランプは完全なる悪者のように報道されている。また自動車メーカーのVWが、日本のAJAJにお金を払っていることも暴露された。
スズキとの間にトラブルを抱えたVWが、AJAJに資金を注入して「スズキ下げ」を意図したようだが、そもそもAJAJに世論を変える力などない。一方でトヨタから支払われる「メディア対策費」は、AJAJのレビューに大きな影を落としている。10年前まで好き放題に悪口を書かれまくっていた。2世代前のクラウンなど「真っ直ぐ走らない」など散々なものだったが、現行のHEVだけとなったクラウンシリーズは気味が悪いくらいに称賛するメディアばかりだ。
不都合な真実が多すぎる
民主主義、資本主義の本質だけでなく「年金制度」「医療保険」「議員歳費」「消費税」「政党交付金」「裏金」など、さまざまなことがウヤムヤにされてきた日本の高齢者は生涯を、メディアに欺かれたまま過ごすことになるのだろう。母親には厳しい意見をぶつけたが、財務省前でデモに参加するあまりにピュア過ぎる高齢者にどんな声をかけたらいいかわからない。トヨタもMAZDAもメディアにカネを払ってコントロールしようとしている(計上されている)。大企業のやることはだんだん役人仕事に近づいていくのだろう。
10年前と比べて、日本メーカー車への批判はほとんど無くなってしまった。それと同時に、自動車技術に関する雑誌なども相次いで廃刊になった。クルマそのものが複雑化して、外部に情報が出なくなり「ブラックボックス」化が進んでいる。自動車メーカーが技術開発競争をするのではなくて、日立やデンソーなどの巨大サプライヤーからさまざまなメーカーが供給を受けるようになった。欧州メーカーも、横置きエンジンのトルコンATは、どのメーカーも自製しておらず、高価格のZF9速を使うか、アイシンAWに供給してもらうしか選択肢がない。
老後って必要ですか!?
クルマの乗り味を決める動的要素として、エンジン、ミッション、タイヤ、サスペンション、ステアリングの5つがあるが、多くの自動車メーカーは新規エンジンの開発を停止していて、それ以外の4つは全てサプライヤーが担当している。サプライヤーに任せることを極度に嫌うMAZDAは、あれこれ自製するのでコストを抑えこむのは上手いが、CX-60みたいな乗り味は設計を大まかに「外注」していればとりあえず起こることはなかった(これが起こるからMAZDAは楽しい)。
SNSでは「選挙で自民党が負けないとこの国は終わり」と叫んでいる投稿を多く見かける。噂される衆参同時選挙があったとしても、1993年&2009年の政権交代時に、この国の何かが変わったというのだろうか。自民党が選挙で負けた2年度にはまた大震災が来るかもしれない。このまま自民党政権がSNSの前に醜態を晒し続ければ、財務省前では「暴力」による惨劇が起こるかもしれない。人生がまだまだ楽しい氷河期世代以下にとっては、ウヤムヤな報道ばかりでイライラする世界よりも、「人生にギブアップしたら安楽⚪︎」という老後など考えない世の中を望んでいるとすら思う・・・。
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