「マツダの狙いが理解できない」とか書いてるライター・・・

ネタ化しつつある「MAZDAいじり」

 最初から言っておきますが、思いっきりバカにします。もはやタイトルが全てを語り尽くしてしまっているのですが、自他共に認める業界の異端児MAZDAの製品開発や販売方法などに関して「何がしたいのかよくわからない」なんて平気で書いているライターが多い気がする。当然ながらその手の「悪癖」はすぐに伝播するもので、ヤフコメの素人も同じようなことを書き出す。「国沢先生がおっしゃっていたが、やってることが全てチグハグだってさ」みたいなこと書いてある。MAZDAファンにしてみればK沢に理解できないからこそ魅力的なんだけどな・・・。


開発の狙いなどすぐにわかる・・・

そもそもMAZDAとかK沢とかの前に、「何がしたいのかよくわからない」ような自動車メーカーが日本市場でディーラーを構えて量販するなんてことはまずあり得ない。ど素人の私だって国内メーカー、輸入メーカーの全てのモデルの投入の狙いはある程度は察しがつく。そりゃどっかのメーカーみたいになぜ日本市場向けはインドやパキスタンの1.2Lターボのままなんだ!?日本市場をナメるなよ!!くらいなことは書きますけど、日本のユーザーはカモにしやすいという経営判断くらいは気がついている。



MAZDAの経営はそんなに変か!?

MAZDAは、日本で展開しているメーカーで「何がしたいのかよくわからない」と野次られることが多い。何をもってそう判断しているのだろうか!?ちょっと理解に苦しむ。例えば販売市場の内訳をみると、日本、中国、北米、欧州の主要市場に均等にシェアを持っていて、あらゆる乗用車メーカーの中でも市場のリスクヘッジは最も優れている。2000年代においてはHVやガソリンターボの尚早な導入を避け、コンセプトとして大事にしているドライビングフィールを損なわない配慮が意思決定の上位にあるようだ。どのメーカーにも負けない「フィール」の作り込みによって4大市場ではそれぞれに一定数のファンを獲得しており、日産やホンダが直面しているような「局地的破綻」にはなかなかなりにくい構造だ。生産拠点が集中していることのリスクは欧州市場で現在顕在化しているが、クオリティを高めた生産をするにはむしろ効果的だ。


MAZDAの価格に不満!?

AJAJのライターやヤフコメの素人さんには高齢者が多いせいか、MAZDAのやり方は「ビジネスライク」な手法に乏しいと感じているようだ。お高く留まっているのではなく、もっとトヨタっぽい商売っ気を出せ!! 良質なクルマを魅力的な価格で提供せよ!!・・・というステレオタイプな「K沢語録」はさすがに時代錯誤じゃないか。あのホンダが4輪で苦しんでいるのはK沢みたいな発想の経営陣が多かったからでは!? MAZDAも軽自動車を作るべき!?まさかね。 そもそも現段階でも良質さの具合で考えるとMAZDAの全モデルは「魅力的」と思える価格水準にある。マツダは高いからもうトヨタにする!!って言ってみたところで、同水準を追求すればトヨタからさらに高い請求を受けるだけで、トヨタの多少は「ごまかし」が効きそうな低グレードモデルを選んで節約しよう!!で納得できるならそうしたらいいじゃん。そもそもCVTが嫌でMAZDAを選ぶんだろ!?


メーカーのポリシー&コンセプト

ちょっと話は変わるけどファイブフォックスの服を好んで買っている。このメーカーは堂々と「私たちの目標はずっと変わらない。世界最高の服を作り続け、それがやがて本場の人々から評価されることを夢見ている。」と宣言している。もちろんそんな意気込みにふさわしい服だと感動しているから買うし着続ける。クルマも同じだ。私が免許と取るずっと前からMAZDAは「世界一になるべくクルマを作り続ける」と宣言している。昔はホンダや日産も似たようなことを言っていたけど、最近では声が小さい・・・そりゃそうだ、全モデルに全力投球しているとは、ちょっと言いづらいかもしれないし。



世界一「じゃない」のがいいらしい・・・

トヨタは最初から「世界一」なんて考えていない。役員一同はそんなクルマを作ったらトヨタは滅びると真顔で言っているらしい。たとえ性能でライバルに対して不利であっても、トヨタ自慢の営業力がある限りは、勝ち続けられると考えているらしい。実際にトヨタ車に乗ったら、それが真実であることは容易にわかるし、同じくマツダ車に乗れば「なるほど世界一だな」と納得できる点は必ず見つかる。最近はやたらと本が出版されカリスマ化しているトヨタ社長だけど、「トヨタはマツダに負けている、だからこれから追い上げよう!!」とか赤裸々に内情を語っている。確かに新時代のビジネスパーソンな匂いがする。


良し悪しは経験的にわかる

ある程度の年齢になれば、誰でもモノの良し悪しはわかってくるのだから、日々の自己研鑽の中で経験的な審美眼は身につく。そしてあるタイミングから突然に悟りだしたりする。作り手の「想い」が伝わってこない服や靴、クルマや腕時計とは長い付き合いはできないことを理解する。今に始まったことではないけども、人前やメディアに出て「ものを語る」仕事の人にとって服装とは「最低限」の身分証明なのだと思う。ブランドがどんなコンセプトを掲げ、作り手がどんな想いを込めて作り上げた服を自分が着ているのか、即座に語れないようなタイプの人は、失礼だけど「ものを語る」仕事をするべきではないと思う。MAZDAの前田さんも語るし、AJAJの国沢さんも語る。しかし両者には大きな隔たりがある。クルマに対する認識も、最低限の身分証明も・・・。


内面も外面もダサい

ちょっと語弊があったかもしれない。どんなヨレヨレの格好のオッサンでも「インフラ」としての自動車を語るのは大いに自由だ。しかしMAZDAのような、ほぼほぼコンセプトだけで半世紀以上もクルマ作りをしてしまった異端メーカーに噛み付くのはやり過ぎだ。自分の全身を理想形にブラッシュアップしてから出直してくるべきだ。それに「経営の狙いがわからない」はさすがに看過できない。たとえMAZDAの大株主であったとしても株保有は自己責任なので、そんなことは言うべきではないし、嫌なら株を売ればいい。ましてやAJAJを名乗るプロライターである。「経営の狙いがわからない」はさすがに白々しい。本当にわからのであれば「不勉強で恐縮だが」くらいの枕言葉を付けるべきだろう。


世の中にクールな価値観を!!

もはや「メディアの時代」は終わった。ブログ、インスタ、ユーチューブのインフルエンサーなんてものも幻想に過ぎない。特にMAZDAのクルマや、ファイブフォックスの服などは、他人に教唆されて買うものではなく、経験的審美眼によって自分自身で選んで納得して買うものだ。MAZDAやファイブフォックスの製品が売れようが売れまいが個人的にはどーでもいい。ただし「選ぶ」という快感を与えてくれるこのようなメーカーには末長く活躍して欲しい。そしておそらく世界にはこの文章にある程度は共感してくれる人々が結構多いのではないかと思っている。


ウィン・ウィンな関係

MAZDAもファイブフォックスも、トヨタやユニクロと同じ営利企業であり、当然に利益を追っていることは十分にわかっている。それでも幸いなことに自分の少ない稼ぎでも十分にMAZDAのクルマやファイブフォックスの服を満足に買うことができる。個人的には「ウィンウィン」な関係が築けていることに感謝している。トマ=ピケティといった名前を出すまでもなく、資本主義が今後も平穏に継続するためには、あらゆる局面で「ウィンウィン」の関係が不可欠であり、それをさらっと作り出すMAZDAやファイブフォックスの「ものづくり」の力にはただただ頭が下がる。


出る杭は打たれる

繰り返しになるけども、「マツダの狙いが理解できない」という一節は看過できない。プロのライターであれば、どんなタイプの人々とそのメーカーが「ウィンウィン」であるかを想像する力は必須だろう。言うまでもなく日本市場で展開する国内外のメーカーの中でもMAZDAは非常に上手くユーザーと関係を築いている方だと思う(自分が特別な存在だとは1ミリも思っていない)。もちろんトヨタ、ホンダ、日産、VW、メルセデス、BMWといったブランドに「ウィンウィン」の関係を感じている人もそれなりにおられるだろうし、彼らの価値観を否定するつもりは毛頭ない。あくまでMAZDAに対してだけ、露骨に疑問を呈するAJAJの連中の姿勢をおもむろに揶揄したいだけだ。彼らのレビューにはMAZDAとそのユーザーを毛嫌いする「通奏低音」が流れている。そんな連中をプロライターとは絶対に認めない。







コメント

  1. いいたいことは凄くわかります。
    大きなシンパシーを感じます。
    どんな車に乗るかっていうのは自分はどういう人生を送りたいのか、また送っているのかを示すための重要な手段/道具であると思うじじいである私の思うところといっしょではないか。

    でも、それをアパレルに主眼を置いて絡めるという論は稚拙に感じる。特に特定の企業グループを挙げてるがその企業にそれほどのフィロソフィー的なものは全くと言っていいほど無い。利害関係者として深い付き合いがある中で感じたことです。

    攻撃的な鋭い言説が許されるのは若い者の特権かもしれないけれど、未熟な者への寛容さにより成り立つものかもしれないです。

    というわけで、これからも若い者の特権は利用しまくり、思ったことをきっちりと吠えるその姿勢で頑張って下さい。
    とても良いです!



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  2. マツダほど分かりやすいメーカーはないと思うけどなあ。
    一昔前の日本車なんて、どこのメーカーか分かりにくいデザインで
    モデルチェンジする度に名前以外は全く別の車になっていて、個性が全く感じられなかった。せいぜいクラウンとスカイラインぐらいしか、そんなこだわったデザインは皆無と言えた。それに対してベンツにしてもBMにしてもボルボ、ジャガー、ポルシェ等の欧州メーカーはカッコいいかは別として、一目でどのメーカーか判断出来るデザインを持っていた。日本のメーカーでいち早くそうしたのがマツダに他ならない。
    そしたらマツダ車はどのモデルも同じデザインでツマラナイ、とか言ってる人たちはよほどアメリカナイズされてるのでしょうな。モデルチェンジする度に別の車になっていないと新鮮味に欠けるとでも言いたいのか?だからこそ、各モデルに名前が無いと駄目なのだろうな。マツダはそんな低レベルの状況から脱却し、一目でマツダとわかる境地まで達している。デザインだけ見てもである。まあ、ホンダ車はチープでイケてないデザインである意味すぐわかるけど。トヨタの美的感覚が崩壊しまくってるデザインを絶賛する方々には、永遠に到達出来ないレベルなんだろうな。ご愁傷さまですな。
    毎回楽しんで読ませてもらっております。色々と口撃される少数派意見を掲げておられますが、間違った事は何一つ言ってないと思います。応援しておりますゆえ、どんどんスルドイ感性で大量生産されたものこそ正義、とか言ってるような勘違い連中を叩き切って下さい。

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