福野礼一郎さん「全方位戦略」で名門ブランドを無差別襲撃

 

トヨタ完全無視!!


今年も「福野礼一郎のクルマ評論」の季節がやってきた。毎月律儀に「モーターファンイラストレーティッド」を読んでいれば、その連載の総集編に過ぎないのだけど、その雑誌がAmazonのサブスクから外れてしまったこともあって、今年は収録されるレビューの全てが初見だったので夢中で最後まで読み切ってしまった。いやそれだけではない、福野さんのレビューに新たな魅力が加わってきた。


この連載では母体雑誌の編集長を務める萬沢龍太さんが相方を務めていて、昨年発売の「クルマ評論7」から巻末に「編集人・萬沢龍太」とクレジットされている。「6」までは別の人が務めていた。母体雑誌の編集長の名前が入る仕組みなのかもしれない。数年前に萬沢さんがめでたく編集長になりました!!・・・とこの連載で書かれていた気がする。



10年で大きく変わった


編集本「クルマ評論」は2014年にスタートしているのだけど、ちょうど個人的に自動車ブログを書き始めた頃であり、怒涛のように繰り出される情報&洞察の連続攻撃に、かなり感銘を受けた覚えがある。このブログでもいろいろとネタにさせてもらった。好きなクルマやメーカーなどの主義主張に基づくツッコミどころはたくさんあるのだけど、自動車評論はトップレベルのライターのレビューとはここまで面白いのか!!と驚愕し、以後は福野さんの出版物は片っ端から買い漁るようになっている。


あれから10年ほどが経過するが、読み手の私の感覚もいくらか麻痺してきたせいもあるのだけど、福野さんのレビューから毒っぽいものがどんどん無くなっているように思う。クルマを取り巻く状況が変わり、評論家とメーカーの意見はどんどん乖離するようになった。評論に値するクルマがほとんど発売されなくなったエコカー全盛の現状では、あれだけ面白かったレビューにも全体にどこか厭世な雰囲気が漂ってくるのも仕方ない。読み手の意識の変化もあるだろうが。


「昔のクルマは良かった・・・」


若い読者からは「懐古主義」としか思われかねない今時のクルマへの批判は、多様化する意見の中ではその内容に関わらず「稚拙」と受け止められていまう。世界のトヨタ(レクサス)でさえも「良いクルマ」のアイコンとして「V8自然吸気」しか手段を持たなかったりする破滅的な状況だから、「昔は良かった」はあながち間違いではない。MAZDAロードスターとケータハム・セブンくらいしか「持続可能な趣味スポーツカー」として世界で支持されるものはないというやや過激な福野さんの主張もまあその通りなんだけども、日本のカーライフにはちょっと馴染まない。


2014年と比べてクルマの選択肢はかなり狭まっている。当時と同じような放胆なレビューにはやはり無理がある。福野さんがレビューを書くクルマにはもはやライバル車も満足に存在しない。2014年の福野レビューでは、レクサスとBMWやメルセデスなど、同格のライバル車を比較評価する軸が強かった。福野さんの場合は、その他大勢の評論家とは着眼点や洞察力が全く違うので人気があり、今でも単行本が「持続可能」になっている。そんな「王道」の手法も発売されるクルマが極端に少なくなってきた今では、福野さんのレビューからあまり見られなくなってきている。例えば日産e-POWERのクルマを何と比較すればいいのか!?



イメージ崩壊


適当な比較対象がなくなる中で、「相対評価」から「絶対評価」へと福野レビューの比重が切り替わりつつある。これにより福野さんのイメージも変容しつつある。「容赦ないライター」の仮面が剥がれ落ち、レビュー対象となったクルマの開発者の心情を慮った「人情味に涙するライター」の顔が出てきてしまう。福野さんの奇想天外&逆張りで権威を張り倒すような「勧善懲悪」レビューを楽しみにしてたのに、「作り手への思いやり溢れる」ことで有名な牧野茂雄さんのレビューを読んでいる気分になってしまう。


「牧野さん風味」の福野レビューはそれはそれで読む価値が十分にあるのだけど、牧野さんのレビューは徹底して「専門家向け」「マニア向け」なので、「クルマの格好良さ」みたいな尺度を重視する読者には合わない。対照的に数値化できない格好良さやロマンを存分に語る福野レビューが本来持っていた「ポップさ」や「発信力」が変化によって失われるのはちょっと残念だ。全くの初心者の私でも無理なく楽しく読めた10年前のあの「最強福野レビュー」は、クルマ趣味を日本社会に広げるためには欠かせないものだと思う。また「全人類ほぼ敗北」とかやって欲しい。



どっちが書いてるのか!?


福野さんも自身のレビューの変化は自覚しているだろうし、あるいは意図的に仕掛けているのかもしれない。新しい手法を生み出したものだけが生き残れる世界ではあるだろうし。このまま牧野テイストになってしまっては「単行本」を出せなくなってしまうかもしれない。日本で単行本を出し続けるライターはごくわずかだけど存在する。島下泰久さん、沢村慎太朗さん、そして今年から始まった水野和敏さんくらいか・・・やはり福野さんにはまだまだ頑張って足掻いてもらう必要がありそうだ。


ライバル車不在で「比較」ができないから、メカ&開発者の深掘りにシフトしたけど、前述のようにちょっと切り口がマニア過ぎる。そこで新たに生み出されたのが萬沢さんを共同執筆者に巻き込む手法のようだ。10年前と比べて萬沢さんが頻繁に登場するようになりレビューの核心を突くようなことを萬沢さんに「言わせる」あるいは、過激な意見に萬沢さんの同意があることを付け加える・・・そんなケースがやたらと目に付く。萬沢さんの同意があるなら納得できると無意識に読者に受け入れさせる効果は確実にある。蔓沢さんも相当なクルママニアだろうけど、なぜか一般人ぽい語り口で書かれるので読者は受け入れやすい。うまく「ポップさ」のバランスを取っている。



福野レビュー復活作戦


萬沢さんとの共同レビューももちろん面白いけど、かつての福野さんのような全てのメーカーやそのクルマのユーザーを敵に回すリスクを顧みずに権威に噛みつきハッキリと断言するスタイルのレビューも読みたい気がする。「まあこんなもんだよね」というレビューより、「このクルマこそが神だ!!」と熱烈に語るレビューの方が熱いものが込み上げてくる。どうやら私と同じようなことを考えてた自動車メーカーがあったようだ。福野さんに再び「比較レビュー」を大いにやって欲しい一心だろうか、比較ありきの大掛かりな新型車を作ってきた。某日本メーカーが発売した直列6気筒FRシャシーSUVの「あれ」である。


さあ福野さんよ!!10年前の切れ味鋭いメッタ切りレビューを見せてくれ!!どんな意見でも我々は受け入れるぞ!!とそのメーカーは大きく構えていたはずだが、あれれれれれ・・・・!? どうしたの!?調子出ないの!?リハビリが必要か!?と心配になってしまう腰砕け感があった。新刊まもない本なのでネタバレは極力避けたいですが、福野節の復活を期待して注目を浴びたはずのレビューが、なんでそんな展開になっちまうのか!!と驚愕した読者も多かったんじゃないだろうか。



福野レビューの「腰砕け」


まあ去年の日本COTYではこのクルマを完全無視された。そんな権力に忖度するカーメディアへの反動もあってか、日本でも予想を上回る好調な売り上げを記録した。500万円もするスポーツカーでもない日本車がデビューとともにこんなに簡単に売れまくった(月1000台以上)、30年以上前のトヨタ・セルシオ以来じゃないか!?当時はバブルの絶頂だけど、これを令和の岸田政権下で実現したのは偉業・神業と言っていい。120万円の補助金ありきのアウトランダーPHEVとは全く意味が違う。


カーメディアのフルバッシングをものともせず、日本市場のクルマ好きが次々と契約した。そしてその走りの良さをカーメディア上で最も高く評価したのが・・・まさかの萬沢さんだった。福野さんが鬼の首を獲ったように大絶賛する段取りだったのかもしれないが、萬沢さんが興奮し過ぎで本人は完全にシラけてしまったらしい。本当の話かどうかはわからない。完全に「脚本」の可能性もあるが、それならばこれは来年の「クルマ評論9」にて再レビューが収録されるフリだと思われる。大いに期待したい。



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