石井昌道 ✖️ MAZDA3skyactiv-X 最初からこのレビューを出せないものか!?
カーメディアの終焉
雑誌媒体の自動車メディアの読者を「卒業」した。今まで散々にブログネタをしてお世話になっておきながら、後ろ足で砂を掛けるような「心境の変化」に、自分自身に罪悪感がないわけでもないけど、やはり2019年の日本のカーメディアには、残念ながら自動車の知識として学ぶものが何もなかった。平均年齢が60歳くらいの編集部と同じく60歳くらいのライター陣で運営されているのだから、そりゃ風通しは悪いだろう。今まで積み重ねてきたこと(日本メーカーへの批判)を否定できる歳でもないだろうし。
ゴミな価値観は捨て去るべき
断定的な言い方で恐縮だが、カーメディアがここ数年で急速にレビュー媒体としての価値を失ったのは、記事を書いている彼らが悪いわけではなく、社会や環境の変化が急激過ぎて多くの人々の認知レベルを超えてしまっていることが原因なのだろう。これは自動車媒体に限った話ではなくて、新聞、テレビ、ネット媒体などの一般メディアにも同じことが言える。ヒエラルキーやら権威やらの中で何十年も仕事してきた連中にとっては、テレビや新聞よりもツイッターからの情報を得て迅速に状況の変化を感じ取る人が多くなった現代社会はもはや理解不能だ。メディア企業とは相対的に読者よりも情報を多く持っていることによって成り立ってきたけども、その構造が壊れてきている。なんかムカつくけど宮台真司の「芸能人の不倫をここまで大袈裟に報道するのは日本だけだ!!」という主張は的を得ている。メディア全体に漂う60歳くらいの人々の「薄汚れた価値観」に辟易してテレビも見ないし新聞も読まない若者の気持ちは・・・まあわかる。
世界のベストセラー
欧州の社会学に関するベストセラー作家、例えばマルクス=ガブリエル(ドイツ)、ユヴァル=ノラ=ハラリ(イスラエル)、ダグラス=マレー(イギリス)といった面々は1980年前後生まれのアラフォーばかりだ。読んでみると、当然だけどメチャクチャ面白いわけです。この3人の著書から感じる共通点は「構造把握」「統計」「人間性」を徹底的にブラッシュアップすることで生まれる脱構造な「リアリティ」なのだと思う。池上彰が報道番組で行うわかりやすい説明はとても素晴らしいです。「コンプライアンス」を徹底して守るという意味で・・・安心して子供に見せられる番組ではあるけど、池上氏の番組に「リアリティ」と呼べるものはない。(まともに本を読んでいる)大人の視点では何もかもが物足りない。「もっと真実に迫ること言えよ!!」って気持ちがフツフツ湧いてくる。
情報の選択
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍・・・メディアには大きく分けて3種類の情報がある。
①ある特定の世代の価値観を後押しするもの
②ニュートラルでコンプライアンス的に安心なもの
③社会の真実に迫り過ぎてて危なっかしいもの
の3つだ。宮台によると世界で最も稚拙なメディアに成り下がった日本の大手報道各社は、「60歳くらいの大卒の公務員・サラリーマン」的な価値観に寄り添い過ぎているのだと思う。視聴者・読者は高齢者であり「シルバー・メディア主義」とでもいうべき状況は年々悪化の一途をたどっている。例えば中国に関する一般認識は極めて遅れている印象を受ける。若い世代や子供達が「中国は日本をパクる」「日本の知的水準は高い」「正社員でなければまともな人生は送れない」といった(60歳くらいでは当たり前?)価値観に染まることは好ましくない。
稚拙な虚構
「歩きスマホ」という他人に迷惑をかけて、GAFAのためにタダ働きをしていることがわかっていない人々の知的水準が高いわけがない。ヤフーのトップニュースに出ていたようなゴミみたいな話題(みんな知っている)を平気でぶっこんでくるオッサンを大量に雇っていたらそりゃトヨタだって潰れてしまうだろうよ。ホワイトカラーの労働者を対象とするならば、リストラする側に同情したくもなる。さらに極論を言ってしまえば国民全員が「正社員」の北朝鮮はさぞかし良い国なのだろうか!?
日本のメディアはドイツの若い哲学者に完全否定された
日本のカーメディアが書いているレビューの多くは、マルクス=ガブリエルの言う「人間性を奪う行為を正当化すること」の範疇から抜け出せていない。例えばMAZDAが新しいエンジンを作って新しい自動車を発売することに対して、「自らのバックボーン(常識)に照らして」マツダの経営陣は間違っている!!みたいに断定している記事は、ヤフコメ的な歯切れの良さで読者ウケするのだろうけど、それはフランスにおいてイスラム教徒の女性の服装を「全体主義」の立場から否定することと同じだ。対象がイスラム教徒の女性だろうがマツダの経営陣だろうが、相手の人権を踏みにじり不要な干渉をしていることと同じであり、これをマルクス=ガブリエルは「人間性を奪う蛮行」だと定義している。つまり①のような特定の価値観を優先する記事は、その対象にならないマイノリティを生き辛くさせている。行き詰まっている(日本)社会を救うのがマイノリティであり、同じくオワコン気味の自動車業界を救うのがMAZDAだと思うが・・・。
ラディカルな情報をキャッチしたい願望
②の「池上彰」的な報道は、無益な価値観の押し付けを排除していることで、子供にも安心してみせることができるという意味で、保護者からの信頼を勝ち取っている。①が覆う日本のメディアにおいては、ある種の「技術的革新」と言っていいのかもしれない。とりあえず著しいメディアの劣化に歯止めをかけてくれることを期待したい。しかし成熟した大人にとっては、①も②も全く不要なものだ。コンプライアンスが厳しいテレビではほぼ③は出てこないのでまあ見る価値はない。同じくユーチューブも見る価値はない。20年前と比べて確実に「書籍」の重要性が高まっている時代かもしれない。ユヴァル=ノラ=ハラリのように若くして世界的なベストセラーの学術本が誕生する背景は、日本に限らず世界的にメディアの劣化が広がっているから・・・。
普遍的なもの
先述の3人はただただ③に当てはまる情報を著書にたくさん盛り込んでいる。飽きることない怒涛の展開に圧倒される。内容の濃い映画やアニメにも負けないくらいに読者の感情を揺さぶる術に長けている。マルクス=ガブリエルはその著書で「テスラなどメルセデスの足元にも及ばない」と断言している。ここだけ読むと、この若い作家はドイツに渦巻く「反アメリカ主義」を発露するために世論に祭り上げられた人柱なんだな・・・という気がしないでもない。あらゆることが「抑圧」されている社会に渦巻く人々の本音を、論理的(やや乱暴?)に開陳し、その背後にある「構造」を読者に見せる。社会全体に散らばる「人間性」に対して、自らの磨き上げた「人間性」で対峙する。学術本のフォーマットながら、そのスタンスは夏目漱石や村上春樹のような「純文学」と同じだと気づく。
石井昌道さんが変わった!?
さて①的なレビューばかりの雑誌媒体の自動車メディアに失望したわけですが、国沢光宏率いるベストカー三人衆と並んで「60歳的価値観」を押し付けてくる清水和夫の弟子みたいな存在の石井昌道さんは、やはり師匠譲りの①的なレビューを書くライターだったと思ったんですが、「MAZDAマガジンvo.13」のスカイX試乗レビューでは、ちょっと③的なレビューでは!?という「人間性」を感じた。なんでもっと早く「スカイXの可能性」に言及したレビューが書けなかったのだろうか!? スカイXのプロトモデルの試乗会は2018年に行われているはずなのに、2019年の間ずっと続いた「マツダ・バッシング」の中で多くのライターがスカイXに対して「50万円アップの価値はない!!」と書いていたのが嘘のような「手のひら返し」だ。媒体がマツダ専門誌ゆえの忖度の可能性も否定できないけども・・・。
「最新投稿まとめブログ」
「BMWの『価値創造力』は非常に高いことが判明」
「欧州車と日本車の実力差が逆転した!?」
「最近のポルシェはちょっと泣ける・・・」
↓これマジで面白いです
雑誌媒体の自動車メディアの読者を「卒業」した。今まで散々にブログネタをしてお世話になっておきながら、後ろ足で砂を掛けるような「心境の変化」に、自分自身に罪悪感がないわけでもないけど、やはり2019年の日本のカーメディアには、残念ながら自動車の知識として学ぶものが何もなかった。平均年齢が60歳くらいの編集部と同じく60歳くらいのライター陣で運営されているのだから、そりゃ風通しは悪いだろう。今まで積み重ねてきたこと(日本メーカーへの批判)を否定できる歳でもないだろうし。
ゴミな価値観は捨て去るべき
断定的な言い方で恐縮だが、カーメディアがここ数年で急速にレビュー媒体としての価値を失ったのは、記事を書いている彼らが悪いわけではなく、社会や環境の変化が急激過ぎて多くの人々の認知レベルを超えてしまっていることが原因なのだろう。これは自動車媒体に限った話ではなくて、新聞、テレビ、ネット媒体などの一般メディアにも同じことが言える。ヒエラルキーやら権威やらの中で何十年も仕事してきた連中にとっては、テレビや新聞よりもツイッターからの情報を得て迅速に状況の変化を感じ取る人が多くなった現代社会はもはや理解不能だ。メディア企業とは相対的に読者よりも情報を多く持っていることによって成り立ってきたけども、その構造が壊れてきている。なんかムカつくけど宮台真司の「芸能人の不倫をここまで大袈裟に報道するのは日本だけだ!!」という主張は的を得ている。メディア全体に漂う60歳くらいの人々の「薄汚れた価値観」に辟易してテレビも見ないし新聞も読まない若者の気持ちは・・・まあわかる。
世界のベストセラー
欧州の社会学に関するベストセラー作家、例えばマルクス=ガブリエル(ドイツ)、ユヴァル=ノラ=ハラリ(イスラエル)、ダグラス=マレー(イギリス)といった面々は1980年前後生まれのアラフォーばかりだ。読んでみると、当然だけどメチャクチャ面白いわけです。この3人の著書から感じる共通点は「構造把握」「統計」「人間性」を徹底的にブラッシュアップすることで生まれる脱構造な「リアリティ」なのだと思う。池上彰が報道番組で行うわかりやすい説明はとても素晴らしいです。「コンプライアンス」を徹底して守るという意味で・・・安心して子供に見せられる番組ではあるけど、池上氏の番組に「リアリティ」と呼べるものはない。(まともに本を読んでいる)大人の視点では何もかもが物足りない。「もっと真実に迫ること言えよ!!」って気持ちがフツフツ湧いてくる。
情報の選択
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、書籍・・・メディアには大きく分けて3種類の情報がある。
①ある特定の世代の価値観を後押しするもの
②ニュートラルでコンプライアンス的に安心なもの
③社会の真実に迫り過ぎてて危なっかしいもの
の3つだ。宮台によると世界で最も稚拙なメディアに成り下がった日本の大手報道各社は、「60歳くらいの大卒の公務員・サラリーマン」的な価値観に寄り添い過ぎているのだと思う。視聴者・読者は高齢者であり「シルバー・メディア主義」とでもいうべき状況は年々悪化の一途をたどっている。例えば中国に関する一般認識は極めて遅れている印象を受ける。若い世代や子供達が「中国は日本をパクる」「日本の知的水準は高い」「正社員でなければまともな人生は送れない」といった(60歳くらいでは当たり前?)価値観に染まることは好ましくない。
稚拙な虚構
「歩きスマホ」という他人に迷惑をかけて、GAFAのためにタダ働きをしていることがわかっていない人々の知的水準が高いわけがない。ヤフーのトップニュースに出ていたようなゴミみたいな話題(みんな知っている)を平気でぶっこんでくるオッサンを大量に雇っていたらそりゃトヨタだって潰れてしまうだろうよ。ホワイトカラーの労働者を対象とするならば、リストラする側に同情したくもなる。さらに極論を言ってしまえば国民全員が「正社員」の北朝鮮はさぞかし良い国なのだろうか!?
日本のメディアはドイツの若い哲学者に完全否定された
日本のカーメディアが書いているレビューの多くは、マルクス=ガブリエルの言う「人間性を奪う行為を正当化すること」の範疇から抜け出せていない。例えばMAZDAが新しいエンジンを作って新しい自動車を発売することに対して、「自らのバックボーン(常識)に照らして」マツダの経営陣は間違っている!!みたいに断定している記事は、ヤフコメ的な歯切れの良さで読者ウケするのだろうけど、それはフランスにおいてイスラム教徒の女性の服装を「全体主義」の立場から否定することと同じだ。対象がイスラム教徒の女性だろうがマツダの経営陣だろうが、相手の人権を踏みにじり不要な干渉をしていることと同じであり、これをマルクス=ガブリエルは「人間性を奪う蛮行」だと定義している。つまり①のような特定の価値観を優先する記事は、その対象にならないマイノリティを生き辛くさせている。行き詰まっている(日本)社会を救うのがマイノリティであり、同じくオワコン気味の自動車業界を救うのがMAZDAだと思うが・・・。
ラディカルな情報をキャッチしたい願望
②の「池上彰」的な報道は、無益な価値観の押し付けを排除していることで、子供にも安心してみせることができるという意味で、保護者からの信頼を勝ち取っている。①が覆う日本のメディアにおいては、ある種の「技術的革新」と言っていいのかもしれない。とりあえず著しいメディアの劣化に歯止めをかけてくれることを期待したい。しかし成熟した大人にとっては、①も②も全く不要なものだ。コンプライアンスが厳しいテレビではほぼ③は出てこないのでまあ見る価値はない。同じくユーチューブも見る価値はない。20年前と比べて確実に「書籍」の重要性が高まっている時代かもしれない。ユヴァル=ノラ=ハラリのように若くして世界的なベストセラーの学術本が誕生する背景は、日本に限らず世界的にメディアの劣化が広がっているから・・・。
普遍的なもの
先述の3人はただただ③に当てはまる情報を著書にたくさん盛り込んでいる。飽きることない怒涛の展開に圧倒される。内容の濃い映画やアニメにも負けないくらいに読者の感情を揺さぶる術に長けている。マルクス=ガブリエルはその著書で「テスラなどメルセデスの足元にも及ばない」と断言している。ここだけ読むと、この若い作家はドイツに渦巻く「反アメリカ主義」を発露するために世論に祭り上げられた人柱なんだな・・・という気がしないでもない。あらゆることが「抑圧」されている社会に渦巻く人々の本音を、論理的(やや乱暴?)に開陳し、その背後にある「構造」を読者に見せる。社会全体に散らばる「人間性」に対して、自らの磨き上げた「人間性」で対峙する。学術本のフォーマットながら、そのスタンスは夏目漱石や村上春樹のような「純文学」と同じだと気づく。
石井昌道さんが変わった!?
さて①的なレビューばかりの雑誌媒体の自動車メディアに失望したわけですが、国沢光宏率いるベストカー三人衆と並んで「60歳的価値観」を押し付けてくる清水和夫の弟子みたいな存在の石井昌道さんは、やはり師匠譲りの①的なレビューを書くライターだったと思ったんですが、「MAZDAマガジンvo.13」のスカイX試乗レビューでは、ちょっと③的なレビューでは!?という「人間性」を感じた。なんでもっと早く「スカイXの可能性」に言及したレビューが書けなかったのだろうか!? スカイXのプロトモデルの試乗会は2018年に行われているはずなのに、2019年の間ずっと続いた「マツダ・バッシング」の中で多くのライターがスカイXに対して「50万円アップの価値はない!!」と書いていたのが嘘のような「手のひら返し」だ。媒体がマツダ専門誌ゆえの忖度の可能性も否定できないけども・・・。
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